十年経ち、Y氏は呼吸器部門の医長になった。出世でもなんでもない。先輩の医長が開業のためにやめたので否応なく責任者にならざるをえなかったのだ。この頃からY氏は癌患者への告知を始めた。他人の人生を自分の嘘が左右してしまうことの恐ろしさを身にしみて感じるようになってきたからだった。告知した患者には外来でも長い時間をかけて応対し、病室へも何度も顔を出すようにした。当時のY氏の肉声。「正直言ってふっきれた感じはしたよね。だけど、自分が死んでいくことを知ってしまった人間と対話するってことはとてつもなく疲れることだよな。いつかはオレの番が来るんだ。相手の立場になるんだってよくよく自分に言い聞かせとかないと会話なんて成立しないもんな。嘘ついてたときの方が楽だったような気がするね」告知をした患者が亡くなるとき、Y氏は以前にも増して精神的な疲れを覚えるようになった。本音で語りあった友を失ったような気分だった。肺癌患者の最期には強い呼吸困難がくる場合が多い。あらゆる薬剤が効かないこの苦しさをとってやるにはモルヒネを用いるしかない。呼吸停止の時期が早まるかもしれないことを家族や、ときによっては本人に告げ、了解を得てモルヒネを使う。「モルヒネ屋」。これはその頃のY氏が自分に付けたアダ名だった。こうしてY氏は年に三、四十人の肺癌患者の死を看取る仕事を続けていた。