オクィンはジョンソン訴訟で成功する

2011.03.31

オクィンはジョンソン訴訟で成功する前後に3件巨額の陪審裁定を勝ち取った。陪審はジョンソンにも、そしてオクィンにも気前がよかった。彼の報酬は損害賠償金の40%で(控訴した場合は45%)、それに費用を加えたものだった。ジョンソン訴訟の前にすでに、オクィンは原告弁護士として非常に成功したキャリアを確立していたが、彼にとってジョンソン訴訟は最初の豊胸材訴訟なので、成功させようという明確な意志をもっていた。目覚ましい勝利をおさめると、彼の法律事務所は一夜にして豊胸材訴訟の渦の中心となり、1992年の末には約700件の訴訟が判決を待っていた。ジョンソン訴訟以外でも、オクィンは3件の巨額陪審評決で10億$を越す裁定額を勝ち取っている。3件とは1986年のモンサント(Monsanto)に対する訴訟。1988年のテネコ(Tenneco)に対する訴訟、(ジョンソン訴訟の後の)1993年のアモコ(Amoco)に対する訴訟だ。オクィンはヒューストン地元の弁護士と結束し、裁判外の和解で莫大な富を得た。原告弁護士は貧しい人々の代弁者の役を演じたがる。確かに、中にはそういう弁護士もいる。しかし彼ら自身の多くは貧しいどころではない。例えば、雑誌「フォーブス」の1989年の記事を見ると、ジョン・オクィンは合衆国内長者番付表の8位に法廷弁護士として載っている。彼の前年の総収入は800万$だった(上から10位のうち、6人はテキサス出身、5人はヒューストン出身だった)。フォーブス誌によると、翌1989年には、彼はテネコを訴える契約違反の陪審評決のおかげで5000万$を上回る収入が予想された。彼はパメラ・ジョンソン訴訟の勝利で豊胸材訴訟に破竹の勢いで参入し、さらに財産を増やした。1995年の中頃になると彼の法律事務所には豊胸材訴訟の依頼人が2000人いたが、その中で集団訴訟の和解に加わるつもりの人はごくわずかしかいなかった。
[参考]
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