日本側からすると、限りなく産業廃棄物の輸出に近いものであった。なにしろ引き取ったはいいが、処理能力を超えて、保管にさえ困っているクルマを相手がタダで引き取ってくれるのだから。三年で一〇〇万台とはいっても年換算すればたかだか三三万台強にすぎないから、台数確保はそれほど困難ではなかった。こうして両者の思惑がみごとに一致した計画は順調に進行していった。が、意外なところで計画は頓挫した。日本側が提示したたったひとつの条件を中国側が飲めなかったのだ。「われわれは中国側に『クルマを輸送する船はそちらで用意してほしい』と要請したのです。ところが中国側はこれを用意できなかったために、計画は中止されました」会長は当時を振り返り、こう述べている。