基本的に、親子関係と夫婦関係は別物であり、夫婦関係に無償の愛を求めるのは誤りである。身内同士の親子と違い、もともとは赤の他人の夫婦の間では、愛は代償を必要とする。たえず「ギブアンドテイク」を頭においてもろもろのことを決め、実行すべきで、そうしないとうまくいかないことが出てくる。Tさん夫婦は妻の実家に近い東京の郊外に新居を定めた。仕事の関係から、東北の夫の実家の近くに住むことは考えられなかったが、私鉄沿線の一駅違いの場所を選んだことが妻の希望からであることは間違いなかった。近ければ行き来も頻繁になる。はじめは嫌な顔ひとつせずついてきて、両親にも愛想よくしていた夫だが、次第にいい顔をしなくなり、そのうち「君一人で行ってこいよ」とそっけない態度を見せるようになった。夫の変化が何によるものか、はじめ妻にはわからなかった。夫の身内に不幸があったのはそんなときだった。数か月ぶりに実家に帰った夫は、故人を悼みながらも、どこか上機嫌な様子であった。家に戻ってまもなく、妻が両親を訪ねる用があって出かけようとしたところ、夫は気軽な様子で車を出し、いっしょに行ってくれた。両親に愛想よく応じる夫を見て、妻はようやくこれまでの夫の不機嫌の種に気づいたのであった。以来妻は、夫の実家への訪問を意識して考えるようになり、自分から言い出すようになったのである。親からもらった金は、必ずしも返さなければいけない義務感を伴わない。与えた親のほうも、この金は返してもらうものだという意識はない。
[参考情報]
ALSOKの祝電サービス
http://alsok-denpo.com/shop/c/c10
親子の間では、相手がしてくれたから今度はお返しをしてバランスをとらなければ、というような計算はいちいちしないものだ。しかしもともと赤の他人であった夫婦は、意識してギブアンドテイクのバランスをとらなければならないのである。だから、夫婦関係は親子関係よりずっと頭をつかうことになる。頭をつかう分だけくつろげないが、これは結婚の宿命である。しかしギブアンドテイクで頭をつかい、疲れるからといっても、心の健康な人なら十分耐えられるはずである。またそうした心労は、ほかの場面で補うこともできる。たとえば、私のような教師と教え子とのかかわりは疑似ファミリーとなり得る。教え子の名に示されるように、教師にとって学生は正しく育ってほしいと思う子どもであり、教え子にとって指導教授の私は父親のイメージでとらえられる存在である。個人的な悩みの相談に乗ることもあり、家庭では十分得られなかったものを補うことも可能である。赤の他人同士だからといって、その関係が冷たいものになるということはない。